びび子の日記…

人生半ばで獣医師になった人間が、仕事のこと、将来のこと、愛猫のこと、日常のことなどを綴ってみました。

行動治療の外科的手段

 あるコラムで、犬や猫の行動治療法の一つである外科的手段について書く機会があった。しかし、なんだかんだあって、結局掲載は見送ることになった。今回は、コラムでは書くことのできなかった話しも含めて、もう一回振り返ってみたいと思った。何となくだけど、自分の中で消化したくなかったので、このブログで書いてみようと思ったのだ。

 

 最初に伝えておきたいこと…、それは、外科的手段はあくまでも方法の一つであって、それがすべてではないということ。つまり外科的な処置をしたからと言ってすべてが解決するわけではなく、行動療法や環境を見直すことは絶対に必要だし、行動治療を受けにきた症例すべてにこの方法を勧めているわけではないということを理解していただきたい。

 

 外科的手段にはいくつかあるが、今回は「声帯除去」について考えてみたいと思う。実は、声帯除去はコラムを見送った原因となったもの。声帯除去とは、声帯を外科的に切除して鳴き声を静かにするというもの。正確に言うと、完全に除去するわけではないため声は一応出る。ワンワン、ニャーニャーという音ではなく、かすれたような声になるため、響きにくくなるのだ。実は、私自身は声帯除去を実際に勧めたことはないし、行動治療の先生が勧めているのを見たこともない。無駄吠えなどで相談にきた場合は、まずは行動療法や環境を見直すことを試してみるし、症例によっては不安を下げる効果のある薬を処方することもある。大体はこれで解決しているので、声帯除去まで話が及ばないで済んでいるのだが…。

 

 声帯除去というと、あまりいいイメージはないだろう。実際に、安易な気持ちで声帯除去をしてほしいなんて言ってくる飼い主さんがいたが、「ばかやろー」と言いたくなる。今度引っ越すマンションがペット禁止なので、飼っているのがばれないように声帯を除去してほしいとか、自分の家の庭で野良猫に餌を与えているせいで、夜中に家にやってきて餌が欲しいと鳴くので近所迷惑だから声帯取ってほしいとか…、いるのだよ…実際。もちろん「ばかやろー」は直接言わないけれど、それくらいのことは思ってもよいよね…。

 

 でも、その一方で、悩んで悩んだ末に声帯除去を選択せざるを得ないケースもあるということも伝えたい。いろいろ努力をした、あらゆる努力をした、それでもだめだった…。近所から嫌がらせを受けるようになった。玄関ドアに「死ね」と貼り紙までされた。家族ともども精神的にまいってしまった。それでもこの子を愛しているから、手放すなんてできない。家族としてずっと一緒にいてあげたい。そんな人もいるのだよ。そんな人たちだから、余計に「声帯除去」を選択することに罪悪感を覚えてしまう。行動治療って、犬や猫の身体的、精神的なケアも必要だけど、そういう選択をせざるを得なかった飼い主さんの心のケアも必要なんだなって改めて思う。

 

 こういう問題って本当に難しい。感じ方は人それぞれだから…。何が正しくて何が正しくないのかは、人それぞれだから。そんなこともあって、コラムでは自分の意見は入れずに、淡々と説明するしかないと思って書いてみたんだけど、やっぱりうまく伝えられるか自信が持てなくて、掲載は見送ってもらうことになった。担当の方は、私の判断に任せますと言って、あえて意見は言わないでいてくれたんだけど、紹介してくれた獣医師の友人とは電話で話し合って、デリケートな問題だから、もう少し考えようって、いつか時機がきたら掲載したいねってことになった。そういう現実もあるんだよってことを知ってもらいたいねって。

 難しい問題だけど、飼い主さんと同じくらい、獣医師も重い責任を背負っているんだなって、当たり前のことなんだけど、今回しみじみ思った。